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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1304号 判決

控訴人 平田サヨ子

〈ほか八名〉

右九名訴訟代理人弁護士 瀧内礼作

被控訴人 山陽国策パルプ株式会社

右代表者代表取締役 尾田源行

右訴訟代理人弁護士 松嶋泰

被控訴人 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 宮北登

〈ほか二名〉

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は「原判決を取消す。被控訴人らは各自控訴人平田サヨ子、同平田直樹、同平田悟に対しそれぞれ六〇〇万円、同清水孝弘、同富田則義に対しそれぞれ五〇万円、同鶴岡勝利、同永山哲也に対しそれぞれ四〇万円、同片平正春、同古川洋祐に対しそれぞれ一〇万円及びこれらに対する昭和四五年一月一六日から完済まで、年五分の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人ら各代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次のとおり付加する外は、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

(控訴人らの主張)

(一)  農林省神戸植物防疫所広島支所の植物防疫官は、植物防疫法第一一条に基づく輸入植物検疫規程第四条により、本件船舶の船そうが同規程別表第四に規定する代用倉庫として、気密性を備えているか否かを検査し、法律の要求する気密性を有することを確認した上、本件船そうをくん蒸の場所とすべきであるにかかわらずその確認を怠り、甲板長室及び操機長室のビルジ排水孔の排水管が船そうに通じていることを発見しないまま、本件船そうをくん蒸の場所と定めた過失がある。

(二)  また同法第九条、同法施行規則第二〇条は、くん蒸作業は植物防疫官立会の上で行うべき旨規定し、この種のくん蒸による不測の危険の発生を防止し、作業の適正な実施と進行状況の監視のため、その立会を要求しているところ、植物防疫官は本件くん蒸作業の開始に立会ったのみで、法及び規則の定める立会義務を尽さなかった。もし同防疫官がその義務を忠実に遵守し、くん蒸業者のみに委せず、自らこれを指揮監督していたならば、ガス漏洩による事故は防止できたはずである。

(三)  輸入木材に対するくん蒸作業は、有毒性の強いガスが次々に考案使用されている実状にあって、本件くん蒸に使用のメチルプロマイドガスのごときは、従来のこの種のものに比し、その有毒性は数倍化し、猛毒性を有するものであるが、過去の限られた事例に基づいて、くん蒸の安全性を信じ漫然船員在船のままこれを行うことは、極めて危険である。

(四)  山陽パルプは興国物産株式会社から本件船舶を傭船し、傭船者として自らその船長を指揮し、自己の企業のため同船を貨物運送の用に供し、その企業から生ずる利益を得ていたものであるから、右傭船は船舶の賃貸借契約ないし定期傭船契約の性質を有するものである。しかるところ、船舶の賃借人につき規定する商法第七〇四条は、定期傭船者にも準用されるから、山陽パルプはその適用ないし準用により、船舶所有者に準じ、商法第六九〇条に基づき、船長がその職務を行うについて第三者に加えた損害を賠償すべき責任があるところ、本件船舶の黒山船長は同船備付けの完成図をみることにより、かねてから同船の甲板長室及び操機長室のビルジ排水孔の排水管が船そうに通じていることを熟知しておるべきであるにかかわらずこれを知らず、しかも本船くん蒸の協議が行われた際同人もこの協議に参加したのであるから、このことからしても同人は、本件くん蒸が人体に危険なものであることは察知できたはずであるのに、船そうの気密性につき検討を行うことなく、慢然本船くん蒸に同意した過失があるから山陽パルプは黒山船長の右過失により、第三者に与えた損害につきこれを賠償すべき責任があり、従って山陽パルプの一切の権利義務を承継した被控訴人山陽国策パルプも当然右責任を負うものである。

(被控訴人山陽国策パルプの主張)

右被控訴人に主張のごとき賠償責任があることは否認する。山陽パルプの本件船舶に対する関係は単なる海上運送契約に過ぎず、従って船舶の賃貸借契約ないし定期傭船契約ではなかった。即ち船舶の賃貸借契約においては、船舶賃借人が他人の船舶につき使用収益権を有し船舶の占有を取得する結果、自ら船長その他の船員の選任監督及び船舶の使用をなす権限を有し、また定期傭船契約における定期傭船者は、定期傭船契約により一定期間他人の船舶を船長付きで借受け、その船舶を使用する権限を有するものである。従って船舶の賃貸借契約にせよ、定期傭船契約にせよ、これらはいずれも船舶の運航を目的とするものであるが、山陽パルプの本件船舶に対する関係は、単にラワン材の運送を委託したに過ぎないものであり、このことは、その契約内容が単に運送を目的とするものであり、船舶使用約款その他船舶の運航、船長に対する指図等を全く予定していないことに徴しても明らかである。よって山陽パルプは商法第七〇四条の適用ないし準用により船舶所有者に準ずる責任を負うものでなく、従って被控訴人山陽国策パルプにも責任はない。

(被控訴人国の主張)

(一)  植物防疫官は、本件船舶においては本件事故までに二回在船くん蒸が行われたところ、何ら事故がなかったこと、本件船舶は昭和四一年一二月建造の事故当時においては新しい船であったこと及び本件船そうを検分しても気密性の保持につき特に変ったところが発見されなかったことからして、本船くん蒸により検疫の目的を達成できるものと判断し、また本件船舶は通常の船舶と違い気密性を欠く特殊な構造であったにかかわらず、船舶の構造を熟知すべき立場にあった黒山船長から、このことについて何らの指摘もなく、傭船主からくん蒸についての同意書が提出されていたため、本船くん蒸を承認したものであるから、害虫の専門家ではあるが船舶については素人の植物防疫官が、排水管の末端口を発見できなかったとしても、同人には過失はない。

(二)  植物防疫の目的を達成するためには、必要とされるくん蒸の効果が上れば十分であって、植物防疫官はそれ以上に人体に対する危険の発生防止につき注意義務を負うものではないが、ただ植物防疫の目的を達成するためには、くん蒸が適正に実施されなければならないことはいうまでもないところ、くん蒸業務に従事する関係者が危険発生の防止に留意する意味において、農林省は本件事故後、本船くん蒸の場合には必ず船員を下船させて検疫くん蒸を実施するよう通達を出したものであり、そのため植物防疫官に危害防止の義務を認めたものではない。

(三)  本件事故当時使用のガスは、昭和二五年から使用するものであるところ、それまで使用していたクロルピクリン、二硫化炭素と比較しても特に毒性の強いものではなく、現在使用されているものと全く同一であるから、控訴人らの(三)の主張も理由がない。

(証拠関係)《省略》

理由

一  当裁判所は、控訴人らの請求はこれを棄却すべきものと判断するものであり、その理由は次のとおり付加訂正する外は、原判決の理由と同一であるから、その説示を引用する。

(一)  本件事故は、本件船舶の甲板長室及び操機長室の各ビルジ排水孔に接続する排水管の末端が第二船そうで終っていたため、くん蒸作業に使用したメチルプロマイドガスが、時間の経過とともに、排水管から甲板長室及び操機長室に流入し、さらにそれが他の室内や通路等に達したため起きたものであり、右部屋のビルジ排水孔は、いずれも各部屋の化粧板により隠された部分にあったことは、原判決の判示するとおりである。

(二)  《証拠省略》によると、船員室は安全のために、貨物そうとの仕切が気密でなく、これに設けられた開口に閉鎖装置のない場所に配置してはならないことになっているが、本件船舶の右のごとき構造であっても、その排水管に閉鎖装置を設ければ、船員室の安全性は保持できるから、右のような排水管の設置自体違法とはいえず、従ってそのことのために船舶検査の際不合格となることはないとしても、そのような構造は他に余り例をみない特殊なものであることが認められる。

(三)  ところで《証拠省略》によると、本件船舶には完成図が備付けてあって、右図面をみれば、本件船舶に右のような排水管の構造のあることが判明することが認められるので、本件船舶の当時の船長黒山信男は、その職責上かねて完成図を調査の上このことを熟知しておるべきであり(原審証人黒山信男の証言によれば、同人はこのことを知らなかったという)、従って本件くん蒸について協議が行われた際、黒山船長からこの事実が告知されていたとしたならば、当然くん蒸作業開始前において、前記排水管にしかるべき閉鎖装置を講じた上で、本件くん蒸が施されたであろうことが考えられる。

(四)  植物防疫法第一一条に基づく輸入植物検疫規程第四条によると、輸入植物のくん蒸は、植物防疫所の施設または同規程別表第四に掲げる基準に該当する構造を有する倉庫であって、植物防疫官の指定するものにおいて行うことになっているから、植物防疫官は本件船そうが気密性を有し代用倉庫に適するか否かの検査確認をしなければならないことはいうまでもない。しかしそうだからといってこのことから直ちに、植物防疫官には、本件船舶に前記のごとき排水管があることを発見しないまま、本件船そうをくん蒸の場所とした過失があるとすることはできない。

蓋し、《証拠省略》によると、本件くん蒸については、山陽パルプからの本船くん蒸申請書及び傭船主発行の本船くん蒸に関する同意書の提出があったので、植物防疫官はくん蒸作業の実施に先立ち、くん蒸業者及び船側の案内により、ハッチコーミング、そう口部、それから機関室、機関室と船艤との間の船隙、そして機関室より船そうに通ずる配電線のある箇所等を廻ってガスの洩れるような亀裂や穴の有無など、密閉が完全かどうかの調査確認をしたこと、植物防疫官はさらに、本船くん蒸を承認するか否かの審査資料に供するため、船側に対し、本件船舶は前に同様のくん蒸作業を行ったことがあるか否か、あるとすればその場所及び年月日、その際のガス漏洩などの有無及び船舶建造の年月日などを質問した結果、黒山船長及び船側から、本件船舶は昭和四一年一二月建造の本件事故当時においては新しい船であり、既に同船においては同四二年五月に名古屋港で、次いで同年一一月に清水港でいずれも本件同様の本船くん蒸を行ったが、ガス漏洩などの事故がなかったことが報告されたこと、そして本件船舶は通常の船舶と違い、前記のごとき特殊の構造であったにかかわらず、その構造につき熟知するはずの黒山船長を含む船側から、このことにつき何らの指摘がなかったことが認められるから、以上の事実からして、害虫に関する専門家ではあっても、船舶については素人である植物防疫官が本件船舶に前記のごとき排水管のあることを発見しないまま、本船くん蒸により検疫の目的を達成できるものと判断し、本船くん蒸を承認したとしても無理のないところというべきであるからである。

(五)  輸入木材のくん蒸は、植物防疫法第九条、同法施行規則第二〇条に基づき、植物防疫官立会の上行わなければならないことは所論のとおりであるところ、原審証人白石久の証言によれば、植物防疫官は昭和四二年一二月八日午後四時から四時一〇分にかけて行われたメチルプロマイドガスの船そう投入に立会い、それから約三〇分たち、くん蒸業者がマッキンリーガス探知機を使用し漏洩ガスの探知を行った際、同人に伴われ、船そうそしてその昇降口、次いで機関室、船室を廻ってガス漏洩の有無を検査し、その確認を終えた後、五時前に下船したことが認められる。

(六)  ところで《証拠省略》によると、植物防疫官に右のような立会が要求されるのは、植物防疫の目的を達成するために承認した消毒計画どおりの薬品、薬量が投与されたか殺虫効果が十分達成できる投薬方法であるか、くん蒸が所期の目的を達したか否かを確認するためであり、植物防疫官にはくん蒸業者がくん蒸作業を行うにつき、これを指揮監督する権限はないことが認められるから、くん蒸業者のガス漏洩探知に原判決認定のごとき過失があったとしても、このことは植物防疫官がくん蒸終了前に下船したことに関係を有するものではない。

もっとも《証拠省略》によれば、農林省及び運輸省は本件事故発生後、本船くん蒸の場合には、船員を下船させて検疫くん蒸を行うよう通達し、以後これが励行されていることが認められるが、それはくん蒸業者をはじめくん蒸業務に従事する関係者に対し、くん蒸作業の実施に伴う危険発生につき格別の注意を促したものであって、右通達は植物防疫官にくん蒸作業の実施に併う危険発生の防止義務があることを前提としてなされたものではない。

(七)  また輸入木材に対するくん蒸は、有毒性の強いガスが次々と考案使用されている実状にあって、本件くん蒸に使用のガスのごときは、従来のこの種のものに比し、その有毒性が数倍化し、猛毒性を有する事実は、原審証人黒山信男の証言だけではこれを認め難く、他に証拠はないので、控訴人らの(三)の主張は理由がない。

(八)  船舶の賃貸借契約においては、船舶賃借人が他人の船舶を賃借し、船舶の占有を取得する結果、自ら船長その他の船員の選任監督及び船舶の使用権限を有し、また定期傭船契約における定期傭船者は、定期傭船契約により一定期間他人の船舶を船長付きで借受け、その船舶の使用権限を有するものなるところ、山陽パルプが右にいう船舶賃借人ないし定期傭船者であることを認めるに足りる証拠はない。

もっとも被控訴人山陽国策パルプは、原審公判廷において山陽パルプが本件船舶を傭船したことを認めたが、弁論の全趣旨によると、右は傭船という言葉が業界において、法律上の船舶賃貸借ないし定期傭船の意味だけでなく、広く使用されている実情にあるために、山陽パルプがウラン材の運送を委託した事実をそのように表現したものと理解しなされたものであることが認められるから、右により被控訴人山陽国策パルプは、山陽パルプが本件船舶の賃借人ないし定期傭船者であることを自白したものとすることはできない。控訴人らの(四)の主張も理由がない。

(九)  原判決二三枚目裏七行目の「の各証言」とあるを「、同黒山信男の各証言によると、在船くん蒸の方法でくん蒸作業を行う場合、船員を下船させるか否かは船長の決定するところであって、植物防疫官にその権限がないことが認められるから右事実」と訂正する。

二  よって原判決は相当であり、本件各控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条第一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺一雄 裁判官 田畑常彦 丹野益男)

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